ページの先頭へ
■国別のリストに戻る
■スイス のリストに戻る
ツーオツのイン川橋(マイヤール)
Innbrücke in Zuoz
コンクリート橋の黎明期にチューリッヒ工科大学を1894年卒業したローベル・マイヤール(Robert Maillart)は、石造アーチの代用としてのコンクリートではなく、全く独自の発想で1901年にツーオツのイン川橋を架ける。その特徴は、①断面が中空の箱型、②3ヒンジ・アーチ、という構造。①は、石では不可能な構造で、断面を中空の箱型にすることで、重量が極限までに軽量化し、低コストでの架橋が実現した(マイヤールの橋は、“それまで恒久的な橋が架けられなかった田舎道” に架けられたものがほとんどで、そのため低コストが要求された)。②は、アーチとしては唯一静定構造(力の釣り合いだけで解析できる単純な構造)で、「紙と鉛筆」だけで計算することができた(それまでの石造アーチは不静定構造で、計算法もなかったので、安全側になるよう、不必要なまでに強靭に作られた→そのため、現在まで残っているものが多い)。1・2枚目の写真は、橋の両側を撮ったもの。歴史的に価値の高い構造物の両脇にパイプを平気で付けている非常識な行為には、呆れるしかない。3枚目の写真は、如何に扁平かを、少し離れた場所から撮ったもの。
橋が完成して2年後に、厚さ20㎝しかない箱桁の側壁に縦の亀裂が見つかる。原因は乾燥収縮によるものだったが、当時は全く未体験の現象だった。この縦亀裂は構造上危険をもたらすものではないことが判明したが、見苦しいことは確かなので、その時点で設計中のタヴァナサ橋(Tavanasa-Brücke、1904年)で、マイヤールは思い切った解決策を行った。それは、側壁を強化するのではなく、「亀裂を生じさせるような側壁」そのものを なくしてしまうという逆転の発想だった。4枚目の写真は、その結果生まれた、「マイヤール・タイプ」のタヴァナサ橋。結果として生まれた形は、動物が川を跳び越してゆくようなダイナミックなフォルムだった(5枚目の写真)。かくして、マイヤールは、大学の恩師だったリッター教授の持論である「機能と美のバランス」を、単に理想論としてではなく、現実の橋として実現して見せた。しかし、残念なことに、この歴史的名橋は、1927年に山崩れによる大量の巨大な石で破壊されてしまう(6枚目の写真)。
マイヤールは、タヴァナサ橋と全く同じ形の橋は作らなかったが、タヴァナサ橋(長61m、幅3.6m)の「そっくりさん」が、何と日本で作られ、現存している。それが、岐阜県飛騨市にあった神岡鉱山の宝橋(長45m、幅5.5m、1936年)。橋の設計が行われた1933年当時、日本には、マイヤールの最大傑作のザルギナトーベル橋(
12
、1930年)の話題が入ってきていて、岐阜県古川土木出張所はザルギナトーベル橋の図面や写真に基づき、宝橋を設計していった。ザルギナトーベル橋とタヴァナサ橋の外見はかなり違うが、長さ132mもあるザルギナトーベル橋を、長45mに縮小していく過程で、結果的に、宝橋は、当時の日本では誰も知らなかった故タヴァナサ橋と同じ姿になっていった。唯一の違いは、3スパンではなく、長45mと小さいので、作りやすい2スパンに変更した点。7枚目に、タヴァナサ橋の最初の写真と同じような角度から撮ったもの(真冬だが)、8枚目に真横から別の機会に撮ったものを示す。偶然とはいえ、タヴァナサ橋は100年前になくなったが、宝橋がその姿を今に伝えているのは実に素晴らしい。