アール・ヌーヴォーと同時期にスタートした中で、北から順にブダペストのウドゥン・レフナル(Ödön Lechner、日本ではレヒネルとして知られている)がブダペスト装飾美術館、ブダペストの聖ラディスラウス教会、ブダペスト地質学博物館、ブダペストの郵便貯金銀行などの公的建築を任されている。写真は、市内にあるシペキ・バラージュ・ビラ荘(Sipeki Balázs Béla villája、1905年)の、アール・ヌーヴォー的な部分。ウィーンでは、オット・ワーグナー(Otto Wagner)が、ドーフィーヌ門駅入口の書いたように、市内の鉄道の駅舎すべてを任されるが、写真は、その中のピカ一のカールス広場駅(Stadbahnstation Karlsplatz、1899年)に見られる、ゼツェッショーンの典型である金と詳細な飾り。アール・ヌーヴォーとはかなり違っている。バルセロナではアントニオ・ガウディ(Antonio Gaudí)がいまだに絶賛を浴びている。写真は、カサ・バトリョ(Casa Batlló、1906年)の拡大。最後に、アール・ヌーヴォーは日本にどんな影響を与えたのか? 近代日本では、西洋化を必死になって急いだので、明治期は新古典とネオ・ルネサンスの建物を積極的に建てた。昭和に入ると、アメリカでも盛んに取り入れられたアール・デコは日本の隅々にまで広がるが、アール・ヌーヴォーはほぼゼロに近い。私が全国の都道府県を最低5回は訪れて調査した時も、一番アール・ヌーヴォー的な建物は、意外な所にあった。写真は、松江市の床几山配水池の計量室(1916年)で、四隅の柱のうねり方がアール・ヌーヴォーを思わせる(場所が狭いので全部は写せなかった)。