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 アルマ橋  Pont de l'Alma 

アルマ橋は、ナポレオン3世が大英帝国・オスマン帝国と組んでロシア帝国と戦ったクリミア戦争(1853~56年)で、1854年9月に黒海で行われたアルマの海戦での勝利に因んで命名された。本来は1855年にパリで初めて開催された万博で開通する予定だったが、戦争のため、万博の一部施設も開会に間に合わなかったくらいなので、アルマ橋も1年遅れ、戦争終結のパリ協定(1856年3月30日)の直後の4月2日に開通した。初代の石アーチ橋の古写真を1枚目に示す。戦争が絡んだ橋だったので、ネオ・バロック様式の橋脚上の石像4体は、フランス軍のアルジェリア歩兵隊、擲弾兵隊、猟銃隊、砲兵隊の兵士だった(1枚目の写真の左がアルジェリア歩兵、右が擲弾兵)。その後、アルマ橋は、建設時の基礎の補強が不十分だったため、80cm沈下したことと、橋の幅が狭かったことから、1970~74年にかけて、パリらしくない(セーヌ川の橋としては相応しくない)鋼桁橋に架け替えられた(2枚目の写真)。その際、橋脚が2本から1本になったので彫刻は当然置き場所が減ったが、なぜか橋脚の上流側だけに1体保存されただけで、残りの3体は他の場所に移された。残された1体は、セーヌ川の増水を測るためにパリジャンたちに利用されてきたアルジェリア歩兵の像。3枚目に、セーヌ川の橋のサイトから取得した、①アルジェリア歩兵像の過去の洪水の位置(像ができてからの最大水位は1910年の8.62m)、②アルジェリア歩兵像の2枚を1つの紙に表示したものを掲載する。