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アレクサンドル3世橋
Pont Alexandre Ⅲ
【世界遺産】
アレクサンドル3世橋
は、1891年に皇帝アレクサンドル3世とフランス共和国大統領サディ・カルノーの間で締結された露仏同盟の象徴的存在(橋の名前も、そこから来ている)。そして、1900年のパリ万博の象徴でもあった。橋は、アンヴァリッドの正面に架けられ(といっても、約650mも離れてはいるが)、反対側には、万博の会場として建てられたグラン・パレ(Grand Palais)とプチ・パレ(Petit Palais)が、橋から北に伸びるアレクサンドル3世大通り(現在のウィンストン・チャーチル大通り)の左右に建っている(橋から入口まで約170m)。橋には大きな制約が課せられた。それは、会場側から橋の向こうのアンヴァリッドが完全に見えないといけない、つまり完全に水平でなくてはならないということ。それに、航行のさらなる邪魔にならないよう、途中に橋脚は設けないようにするため、フラットに近い単スパンのアーチ橋が要求された。それに応えたのが、19世紀末のフランスで、金属橋の最も偉大な設計者と言われたジャン・レザル(Jean Résal)。彼が考案したのは、スパン107.5mの鋳鉄アーチ橋。ライズ比(高さ/スパン)は僅か0.059(コンコルド橋を作ったペロネの他の最高作で0.09、以前にも引用した「日本一扁平」とされる長野県の鋼アーチ橋でも0.09)。これほど扁平だと、膨大な水平方向の推力が発生するので、両岸はよほど頑丈に作らないといけない。https://dreamonnarrowboat.blogspot.com/2018/05/la-construction-du-pont-alexandre-iii.html というサイトに、かつて橋梁道路学校(École des ponts et chaussées)が収録した写真が掲載されていたので、それを、まず3枚連続して掲載する。1枚目は工事に着手してから最初の写真(1897年5月28日)。2枚目は台(plateforme)の建設が始まったところ(6月11日)。3枚目は完成した台(7月4日)。台の構造は、https://www.worldfairs.info/forum/viewtopic.php?t=606-pont-alexandre-iii というサイトに載っている(4枚目の図)。そして、再び前のサイトに戻り、5枚目では、台の上にケーソンの列が立っている(8月3日)。これに対応した図が6枚目にある。これは、作業員が上部のケーソン(気閘)から中に入り、圧縮空気の中を底まで降りて行き、底から順次コンクリートを詰めていく装置。ケーソンの場所を上げて行くことで、巨大なコンクリートの立方体が作られた。図の下の7枚の写真は、完成した大きな台の上に、橋を架けるための巨大な作業用のトラスがセーヌ川の上に張り出していく様子(1898年8月20日)。このトラスは最終的に対岸まで達し、その下に、木製のアーチ形の台が作られ、工場から運ばれてきた鉄のアーチ部材が組み立てられて行く(8枚目の少し大きな写真)。この時期の工事の全景が9枚目。建築家のジョセフ・カシアン・ベルナール(Joseph Cassien-Bernard)が設計した巨大な柱の建設も、橋の両端・両側の4ヶ所で進められている。最後の10枚目は、完成後の写真。実に扁平だとよく分かる。
ここからは、私が撮った写真。橋は何度か色が変わり、最近では、灰色→緑がかった茶色→元の色彩と推移した。1枚目の写真は、上流側左岸から撮った “緑がかった茶色の時代” の橋。2枚目の写真は、1枚目とほぼ同じ角度から撮った、元の色彩の橋。この方がよく似合う。背後に写っているのは、グラン・パレの屋根。3枚目の写真は、下流側左岸から、少し離れて撮った全景。4枚目の写真は、橋の装飾が分かるように撮ったもの。