この橋は、最初ソルフェリーノ歩道橋と名付けられ、その後、2006年にレオポール・セダール・サンゴール橋(Passerelle Léopold-Sédar-Senghor)と名称変更された。私が行った時はソルフェリーノだったので、ソルフェリーノ歩道橋のままにしておく。【なぜかというと、改名にフランスの悪しき独善性を感じるから。1906年にフランスの植民地セネガルで生まれたサンゴールは、若い頃から「フランス人になりたいという願望」を持っていた。サンゴールは国際バカロレア資格を取得すると、「植民地の黒人エリート」として、1928年にパリに行き、1933年にフランス国籍を取得、古い歴史を持つ公立の後期中等教育機関リセ・ルイ=ル=グラン(LBG)で教育を受け、1937年からは詩や記事を雑誌に掲載するようになる。サンゴールの基本的姿勢は、植民地化自体は非難されるべきものではないというもの。そして、1945年に出版された『フランス帝国共同体(La Communauté impériale française)』という本の共著者の1人として、フランス連邦制の樹立が、アフリカで目覚めつつあるナショナリズムに対する唯一の防衛策だと主張した。反植民地主義運動の高まりに不安を抱いたフランスの雑誌や新聞は、「連邦主義は20世紀の真実であり、フランス連合の未来である」と述べるサンゴールに喝采を送った。サンゴールは1960年に独立したセネガルの初代大統領になる。ソルフェリーノ歩道橋を、サンゴールの名に変えたのは、サンゴールの生誕百年を祝したもの。フランス植民地擁護者への称賛でもある】。この歩道橋は、パリ市内のセーヌ川に架かる一番モダンな橋。建築家でエンジニアのマルク・モーリス・ミムラム(Marc Maurice Mimram)のデザインで、1997~99年に作られた。アレクサンドル3世橋と同じ単スパンの鋼アーチ橋だが、堤防上の河岸と、セーヌ川の遊歩道(Berges de Seine)の両方からアクセスができ、橋の中央付近で双方が合流し、その後は、対岸の河岸か遊歩道の好きな方に行くことができる。非常に面白い発想だが、構造の魔術師とも言われるスペインのサンティアゴ・カラトラバや、イギリスのウィルキンソン・エア建築事務所の作品と比べると、きわめて地味。しかし、パリの中心で橋ばかり目立っても無様(ぶざま)なので、近くの他の鉄のアーチとも似たこの橋のデザインは、少し重苦しいが、正解だったと言えなくはない。1枚目の写真は左岸下流側から撮った全景。2枚目の写真は遊歩道からの入口。3枚目の写真は少し階段を上がった所。歩く部分は、ポン=デ=ザールと同じボンゴシ材が使われている。4枚目の写真は、橋の上にある、“河岸に行く上路と遊歩道に降りて行く下路の分岐点” から撮ったもの。