【世界遺産】ルーブル美術館の前に架かることから、ポン・デ・ザール(芸術橋)と命名された橋は、1801~04年にかけて、パリ初の鉄の橋として、鋳鉄を使った上路の9スパンのアーチ橋として作られた。設計はルイ=アレクサンドル・ド・セサール(Louis-Alexandre de Cessart)とその弟子。1852年に左岸側にあるフランス学士院の前の道路拡幅のため、スパンは9から8に減った。19~20世紀にかけての画家シニャック(Paul Victor Jules Signac)が描いたポン・デ・ザールの絵を1枚目に示す。このパリ初の鉄の橋のスパンは18.5m。セーヌ川の古い橋で、下流側から、コンコルド橋(1791年)最大31m、ロワイヤル橋(1689年)最大23.5m、ポン=ヌフ(1606年)最大16.4m、マリー橋(1635年)最大18mなので、一番狭い訳ではない。なのに、1961、1970、1979年と何度も船にぶつけられ(他の橋もぶつけられたかもしれないが、石造なので壊れるのは船の方)、特に最後の1979年のはしけとの衝突では、橋は大きく崩落した(2枚目の写真)。これを踏まえてパリ市はどうしたか? そこが素晴らしいところなのだが、永年市民に親しまれてきた橋の外観を変えずに、衝突の可能性を減らす方法として、8スパンでも7スパンでも「違う」という感じを与えないことを利用し(シニャックの8スパンの絵と、3枚目の正面から撮った7スパンの写真(Wikipedia)とを比べても違いは分からない)、アーチを7スパンに減らし、鋳鉄の代わりに強度の高い鋼鉄を使い、石の橋脚は、鉄筋コンクリートを石で覆うことで外観を変えずに新しい橋を架けた(1982~84年)。設計は建築家のルイ・アレチュ(Louis Arretche)。新橋のスパンは約22mと5橋の中で最小ではなくなった。なお、歩行者が通るデッキも初代と同じ木造としたが、材料には、腐食に非常に強いボンゴシ材を使用した。これは、私がずっと昔、国の重要文化財の桃介橋の全面改修を行った時、重要部分にボンゴシ材を使用したのと同じ発想だ。4枚目の写真は、ルーブルから学士院側を撮ったもの。5枚目の写真は、逆に学士院からルーブル側を撮ったもの。