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 ポン=ヌフ  Pont-Neuf 

【世界遺産】ポン=ヌフは、1578~1607年にかけて作られた現存するパリ最古の橋。ここで、パリの橋の歴史を少し見て行こう。17世紀までパリの中心はシテ島で、そこには木橋が9世紀から架けられていた。パリ最古の石アーチ橋は、1280年の洪水の後に、シテ島の北側に架けられた「大きな橋」(Grand-Pont)。14世紀には、島内の両替商が集まる場所に「両替商の橋」(Pont-aux-Changeurs)が架けられ、1621年の火災の後、1647年にNo.45のシャンジュ橋(Pont au Change)として再建された。No.46のサン=ミシェル橋は、1379~87年に石アーチ橋として架けられ、1408年の洪水で流された後は木造で再建され、石アーチに戻されたのは1623年でポン=ヌフ以降。No.47のノートル=ダム橋は、木造橋が崩壊した後、1501~12年にかけて石アーチ橋として再建された。ポン=ヌフが完成した時点では、リストに入っていない「小橋」(Le Petit-Pont)を含め、既に4つの石アーチ橋が架かっていたので、その時点でポン=ヌフは5番目の石アーチ橋。下の絵は1600年のシテ島を描いた絵。工事中のポン=ヌフを含めて5つの橋が描かれている。ならば、なぜポン=ヌフは、「新しい橋」という名が付いたのか? ①それまでの橋は、シテ島とセーヌ川の対岸を結ぶだけで、セーヌ川の左岸と右岸を直結する橋は、ポン=ヌフが初めてだった。②それまでの橋が、歩行者と馬、家畜の牽く荷車が混在して橋を渡っていたが、ポン=ヌフで初めて歩道が設けられた。③そして、何よりも、それまでの橋は、橋の上に4階建て(フランス式に言えば3階建て)の家が並んでいたが、ポン=ヌフには家がなかった。「最初」が3つも重なったことから、場所や関係者の名前ではなく、「新しい橋」という名前が付けられた。ポン=ヌフの高欄のモールディングの下には、マスカロン(mascaron、仮面飾り、ポン=ヌフでは古代神話の森と野の神々)を使った持ち送り(381個)が付いているが、その理由として、❶住民を悪霊から守るため、❷幸運と成功への祈願、と二通りの解釈が書いてあったが、マスカロンの顔の醜さから推定すると、❶のような気がする。
 

ポン=ヌフの全長は238m。シテ島の部分は全長に含まれていないが、2つに分かれた北側と南側の個々の長さは不明。北側は7スパンで、アーチは17.34m。南側は5スパンで、アーチは12.48m。セーヌ川の航行のメインはシテ島の北側なので、1851~54年にかけてアーチを半円から楕円に変える大工事が行われた(航路幅が少しでも広くなる)。その際、381個のマスカロンが、すべて複製に置き換えられた(工事でマスカロンがきれいに剥離できなかった?)。1枚目の古い絵は、17世紀に描かれたポン=ヌフの全景で、アーチはすべて半円だった。2枚目の写真は、https://paris1900.lartnouveau.com/ponts/ のサイトにある正面からの写真。両者を比較すれば、左側(北側)の方が半円→楕円、右側(南側)の方は半円のまま、ということがよく分かる。3枚目の写真は、北側のポン=ヌフ。マスカロンが汚れて真っ黒になっている。4枚目の写真は、ポン=ヌフのもう一つの特徴である半円形のバルコニーを撮ったもの。5枚目と6枚目の写真は、南側のポン=ヌフの遠景と近景。撮影時期が違うので、こちらの方は、マスカロンが清掃されて真っ白になっている(南側はアーチの楕円化の工事はしていないので、できてから400年以上経っている。なのに、モールディングなどの細い部分も損傷一つない。何度も取り替えているのだろうか?)。
 
 
 
 
 
 

最後に、話題を変えて、大阪の中之島に1915年に架けられた難波橋(全長189.7m)。明治以来、中之島は、日本銀行大阪支店、大阪市役所、大阪府立中之島図書館、大阪市中央公会堂、中之島公園が並ぶ大阪における西欧化の中心地だった。そして、大川がセーヌ川に、中之島がシテ島に比定された。難波橋はポン=ヌフにならい、中之島公園をまたぎ、一つの橋として架けられた(1枚目の写真)。そして、橋と公園が接する両端の左右に設けられた新古典主義の混在した石塔(写真の右端)や、公園の中心に設けられた「橋から公園に降りる日本でもピカ一のイタリア式階段や(2枚目の写真)、橋の両端の左右に置かれたネオ・ルネサンス様式の大きなライオン像(3枚目の写真)に、西欧の建築様式に対する理解の混乱を感じさせる。