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トゥールーズのランブシュール港 Port de l’Eembouchure
ミディ運河、ブリエンヌ運河(Canal de Brienne)、ガロンヌ運河の3運河が合流する点にある小さな港。船が運河から別の運河に方向転換するために作られた長さ約240m、幅45~75mの水面。それが
ランブシュール港。その東端には、3つの運河への入口が並んでいる。1枚目の写真では、左からガロンヌ運河、ミディ運河、ブリエンヌ運河の順。そして、それらを一体化するように煉瓦で覆われた部分を、ジュモー橋(Ponts-Jumeaux)と呼んでいる。Jumeauxは双子という意味なのに、なぜ3つなのか? それは、ピエール=ポール・リケ(Pierre-Paul Riquet)が全力を尽くし、彼の死後8ヶ月の1681年5月にラングドック運河(1789 年にミディ運河と改名)が開通した時には、この運河はトゥールーズと地中海を結ぶもので、ビスケー湾(大西洋)とは運河ではなくガロンヌ川を使うという方針だったから。ランブシュール港が作られた目的は、ラングドック運河を通って地中海から来た船を、すぐ近くを流れるガロンヌ川までブリエンヌ運河(長さ1560m)を通って行かせるための回転場。その時は、出入口は2つしかなかったので、「双子」と名付けられた。2枚目の写真には、2つの出入口の中間に、白い大理石を刻んだフランソワ・リュカ(François Lucas)の大レリーフ(1776年)が映っている。話は戻り、なぜガロンヌ川では駄目でガロンヌ運河が必要だったのか? この川の流量は非常に不規則で、春は洪水、夏は低水位が発生する上に、トゥールーズやモワサックなど特定の場所では元々川底が浅かった。従って、ガロンヌ川の航行には大きな危険が伴った。1681 年、ミディ運河が開通した際、引き続きボルドー市に向かおうとすると、トゥールーズで、ミディ運河の船の荷をより小さい船に積み替える必要があった。それに、ガロンヌ川をボルドーに向かって下るには 平均5 日が必要で、特に反対方向に戻ってくるには 平均15 日かかった。ミディ運河の方も5日が必要だったが、運河の水面は水平なので、上りも下りも5日だった。こうした状況は、フランスに産業革命の時代が到来すると、ガロンヌ川の側方運河の必要性が主張されるようになる。トゥールーズを経由してボルドーと地中海を結ぶ鉄道が1858 年に完成するが、ガロンヌ運河は、その僅か2年前の1856年に開通した。初期の鉄道と運河とは運ぶ物の量や重さに違いがあったので、経営は十分成り立ったのであろう。因みに、ジュモー橋は、この時に延長され、3つの運河を包むように整備された。