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 フェール=アン=タルドノワ城の廃墟  Château de Fère-en-Tardenois 

フェール=アン=タルドノワ城の廃墟はルイ 7世の弟が1206年に建設を始め、1260年に完成した後は、王家の関係者の間で所有者が変わっていくが、その途中で、1527年、フランソワ1世は、フランス軍の元帥(1522年)でフランス王室の “Grand maître de France(王室と王の私的な奉仕の監督を担当する最高の役職)” のアンヌ・ド・モンモランシー(Anne de Montmorency、1493頃~1567年)と従妹のマドレーヌ・ド・サヴォワを結婚させ、フェール=アン=タルドノワ城を贈った。モンモランシーは、城を改造し、建築家ジャン・ビュラン(Jean Bullant)の作品とされる大きな屋根付き橋を架けた。なお、モンモランシーは1538年にはフランス軍の総司令官になり、5人の国王に仕えた。1551年には初代公爵となる。そして、私が一番好きなシャンティイ城(Château de Chantilly)の初代の城を1557~58年に作らせた。その後、第4代モンモランシー公爵のアンリ2世・ド・モンモランシー(Henri II de Montmorency)は、フランス元帥でありながら王弟オルレアン公ガストンと組んだため、リシュリュー(ルイ13世の宰相)の怒りを買い死刑に処せられ、フェール=アン=タルドノワ城は没収された(シャンティイ城も)。城はすぐに、モンモランシー公位を継承したコンデ公妃シャルロット=マルグリットに返還されたが、結局は夫のコンデ公の所有となり、最終的には支族の公爵のものとなり、君主制に反対の立場のこの愚者は城を破壊し(1779年)、資材を売却し、城は廃墟となった。

1枚目の写真は、廃墟となった城と橋を逆光で撮った全景。2枚目の写真は、破壊される前の1775年に描かれた城の絵。城は7つの塔に囲まれた要塞的な城で、小さな丘の上に建てられ、周囲には深さ18mの濠が掘られ、丘の表面は砂岩の敷石で覆われていた(今は、崩れた塔と、敷石の一部しか残っていない)。
 
 
2枚目の写真は、濠の上に架けれた 5つのアーチをもつ長さ60mのルネサンス様式の石橋。橋が城に接する部分の丘には、砂岩の敷石が残っている(橋の反対側は、敷石がもっと長い区間にわたって残っている)。橋の上には屋根付きの2階回廊が設けられていたが、今は屋根はなくなり、2階部分の壁も所々崩れている。3枚目の写真は、橋の城側から入口の門に向かって撮ったもの。