カーンのサン=エティエンヌ教会は、男性修道院(Abbaye-aux-Hommes)とも呼ばれ、ノルマンディー公ウィリアム2世(のちのウィリアム征服王、William the Conqueror)が、フランス王との1054年の戦いに勝利した後の1059年、建立を決断したもの。ノルマンディー公爵夫人、フランドルのマティルダ(Mathilde de Flandre)も女性修道院(Abbaye-aux-Dames)を建立する(Caen ② 参照)。工事は1063年に始まり、ノルマンディー公国の国王としての強い意志と、神学者ランファン(Lanfanc、のちのカンタベリー大司教)の協力で順調に進み、早くも1077年に奉献される(ウィリアム2世は、1066年10月14日のヘイスティングズの戦い(Battle of Hastings)でイングランド王位を勝ち取り、この時点でウィリアム征服王となっていた)。これは、ノルマンディーの王がイングランドの王となった初めての出来事。1枚目の地図は、1087年のイングランド王の領土を示すもので、範囲は僅かなノルマンディーと、イングランド全域となっている。よくこれで、イングランドの王になろうとしたものだと驚かされる。2枚目の地図は、以前、ロシュ要塞の解説で使用したのとは別の「アンジュー伯のプランタジネット家の領有地域の地図」(1枚目の地図と縮尺、左右の位置を合わせてある)。このくらいフランス国内での領地が広ければ、イングランド王となってもおかしくはないのだが。