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 ルーアンのノートルダム大聖堂  Cathédrale Notre-Dame, Rouen 

ルーアンのノートルダム大聖堂の建設は1020年に始まり、ノルマンディー公ウィリアム2世(のちのウィリアム征服王、William the Conqueror)が臨席して1063 年に奉献された。12世紀中頃になって、当時の大司教(ルーアンは大司教区)が、ゴシック様式に心酔し、1145~64年にファサードの北にサン=ロマン(Saint-Romain)塔を建てた。次の大司教は1185年にロマネスク様式の身廊を取り壊した。1240年代には身廊、1270年には内陣側面の礼拝堂、14世紀初期には内陣中央(後陣)の礼拝堂と整備が続き、百年戦争後にはサン=ロマン塔がレベルアップされ、ファサードの南にブール(Beurre)塔も建てられた。翼廊の交差部には、ノルマンディーらしい尖塔(木造)があったが、1822年の落雷で焼け落ちたので、1825~76年にかけて鋳鉄製のフランス一高い151mの尖塔が作られた(世界一はドイツのウルム大聖堂の161.5m)。1枚目の写真は、ルーアンで一番人気の大時計(Gros-Horloge)塔の上から大聖堂の全景を撮ったもの(約100段の狭い螺旋階段を登った)。この写真からは、①中央の尖塔が如何に大きいか、②左右のサン=ロマン塔とブール塔が如何に違うか、③ファサードの中央に立つ4基の小さな尖塔と、その下にあるより小さな左右3基ずつの尖塔装飾などの “ゴシック色” が如何に派手か、がよく分かる。因みに左のサン=ロマン塔のさらに左に見える尖塔は、サン=マクルー教会(Église Saint-Maclou、Rouen ②)のもの。他の部分は大聖堂の後ろに隠れて見えない。2枚目の写真は、大聖堂の前の狭い広場からファサードを見上げて撮ったもの。左右3基ずつの尖塔装飾の下にはたくさんの彫像が並んでいる。また、中央入口のティンパヌムの上には、透かし彫りの尖った切妻が乗っていて、その上にバラ窓がある。3枚目の写真は、身廊から内陣側を撮ったもの。アミアン、ランスなどの大聖堂を見ている私が驚いたのは、天井の高さは28mと低いのに、身廊の両側の壁が3段ではなく4段になっていて、下から2段目が吹き抜けで、1段目と同じ側廊の上部に位置しているという珍しい構造。また、身廊の両側の柱は、ノルマンディーらしく、下から上まで直線が強調されている。4枚目の写真は、内陣の奥に残っている1220~30年の見事なステンドグラスのうちの2枚。左は「受難(Passion)」、右は「善きサマリア人(Bon Samaritain)」。