【世界遺産】あまりにも有名なルイ14世のヴェルサイユ宮殿。1664~81年にかけて壮大な宮殿が建設され、ル・ノートルによる庭園の整備も1662~87年にかけて行われた。あまりにも有名な宮殿なので、ここでは、簡単な紹介に済ませ、噴水について詳しく語ることにしよう。1枚目は、宮殿の庭園側の中央ファサード。2枚目の写真は、その先の刺繍花壇をすっ飛ばし、その先の森で狭くなったアクスの向こうにあるネプチューンの池(Bassin de Neptune)にある噴水(小さく写っている)と、その先に伸びるグラン・カナル(長さ1.67km)。そして、3枚目の写真は、その噴水の拡大。ここでの紹介のメインは、イタリアと違って平坦な地形のヴェルサイユで、どうやって噴水から水を出したかの、涙ぐましい努力。
ここから、先は、ヴェルサイユ宮殿の北7.8km、パリから約12 km離れたセーヌ川左岸から、宮殿まで、どのようにして水が運ばれたかを、WEBを使って追ってみよう。セーヌ川左岸に作られたのは、1枚目に示した、マルリーの機械(Machine de Marly)。リエージュ(今のベルギー)やハルツ鉱山(今のドイツ))で使われていた揚水機にヒントを得て作られた巨大な揚水機(1680~84年)。直径約11.6mの水車14輪と250台以上のポンプ群でセーヌ川から水を汲み上げ、パイプを通して高さ152mのマルリーの丘の上のルヴァン塔(Tour du Levant、2枚目の写真)まで水を押し上げる。そこから先は、長さ643mのルーヴシエンヌ水道橋(Aqueduc de Louveciennes、3枚目の写真)でジョングルール塔(Tour du Jongleur、4枚目の写真)まで流す。そこからは、地下のサイフォン管を通してドゥ・ポルト貯水池(Réservoir des Deux-Portes)へ流し、ピカルディ地下水道(Aqueduc souterrain de Picardie、長さ6.3km)を使ってピカルディ貯水池(Réservoir de Picardie、5枚目の写真)へ送る。再び地上に出て、モントルイユ水道橋(Aqueduc de Montreuil)という最大高23mの長さ1km以上の迷惑な構造物(住民の不評で取り壊され、1735年に地下サイフォン管に変わった)を通してモンボーロン貯水池(Réservoir de Montbauron、6枚目の写真)まで送る。モンボーロン貯水池とヴェルサイユ宮の関係を示した地図を7枚目に示す(地図の一番上の黄色の枠の中がモンボーロン貯水池、地図の中央がヴェルサイユ宮庭園)。こうして、7.8kmの複雑な地形を乗り越えて、噴水まで水は運ばれた。マルリーの機械は、技術的欠点も多く能力や耐久性が不十分で、維持管理の手間と費用も膨大だったため1713年には見捨てられた状態になり、1715年には噴水を作動させることすらできなくなった(1817年に解体された)。