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 ソー城の庭園  Château de Sceaux 

ソー城とその庭園は、ルイ14世を支えた最大の功績者であり、国務大臣、財務総監、王室国務長官を兼務したジャン=バティスト・コルベール(Jean-Baptiste Colbert、1619~83)が、パリ北郊のソーに100haの土地を購入し(1670年)、アンドレ・ル・ノートルに依頼してフランス式の庭園を作ってもらい、名前は分かってしないが当代一流の建築家に城を設計させた。コルベールがルイ14世を招いた過度に華美ではない祝賀会(1677年)は、フーケを監獄に追いやった時とは正反対にルイ14世を100%満足させた。コルベールが1683年に死去すると、長男のセニュレィ(Seignelay)侯爵が城主となる。彼は、コルベールのように謙虚ではなかったので、敷地を227haに拡大し、アンドレ・ル・ノートルに依頼して、それまであった総延長2km(城は中間点にあった)のアクスに加え、城の裏手250mの刺繍花壇から直角に南に伸びるアクスを新たに作り、そこに長さ1kmのカナルを設けた。しかし、侯爵が僅か17年後に死去すると、城と庭園はルイ14 世とモンテスパン夫人の息子メーヌ(Maine)公爵のものとなり、その後も、所有者が死去する度に所有者も変わっていく。大きな変革が起きるのは1793年のフランス革命。ソー城と庭園は没収され、Jean François Hippolyte Lecomteという成金商人が城を購入し、石材を売るため城を破壊した(最低の人物)。革命が終わると、トレヴィーズ(Trévise)公爵が土地を購入し、そこに、現在ある城を建てさせた(1862年)。公爵の跡継ぎが死去した時、ソー市長は、庭園の素晴らしさが民間への売却により失われるのを惜しみ、セーヌ県に土地の購入を強く訴え、県もそれに賛同し莫大な資金を調達して1923年に県の公園とした。

1枚目の写真は、かつての城へのアクスを兼ねた道で、今はアレ・ドナール(Allée D’Honneur)と呼ばれている長さ700mの立派な通り。幅員約45mの大通りだが、自動車用の舗装道路は中央の約10mのみ。その両側には各2列、計4列の見事な並木が作られている。写真は、その右側中央の芝生の植え込みから城の方を撮ったもの。両側に植えられた並木の刈り込みは、先端が直線になるほどの精緻さで圧倒される。2枚目は再建された城なので価値はないが、アンリ13世様式なので、1862年の城のようには見えない。左右に木を植えたアクスも見事だが、この木も17世紀のものではない。3枚目の写真は、城から250m離れた刺繍花壇の跡地を無視し、その先にある750mのアクスを撮ったもの。あまりに殺風景なので失望させられた。なお、刺繍花壇は2013年に復元され、真ん中にアクスがちゃんと入り、長さが1kmに戻った。4枚目の航空写真は、WEB上にあった一番きれいな写真。3つある円形の池のうち、一番上の池が、3枚目の写真に映っていた “寂し気な池”。きれいに整備すると様子は一変する。アンドレ・ル・ノートルも喜んでいるだろう。
 
 
 
 

現在は、正式名称がソー公園(Parc de Sceaux)というくらいなので、重要なのはル・ノートルの設計した庭園。彼は、ヴォー=ル=ヴィコント(Vaux-le-Vicomte)ではカナルを脇役にしか使わなかったが、ヴェルサイユ宮庭園では、長さ1.67kmのカナルをアクスの一部に用いた。ソーのカナルのアクスは1kmなので、ヴェルサイユには負けるが、1枚目の写真のように、高台から見下ろす形なので、アクスとしての効果はヴェルサイユを超えている。ただ、17~18世紀にこのカナルがどんな姿をしていたのかは、当時の絵を見つけることができなかったので分からない。1枚目の写真のような、巨大な木に囲まれていたかどうかも分からない。なぜかというと、昔、講義用にパワーポイントを作った時にネットで見つけた写真(今はどこを捜しても出て来ない)には、1930年に植樹されたばかりのポプラ並木が写っていた(右の3枚の写真の一番上)。それまでは芝生だったのだろうか? 右の真ん中の写真は、上下の写真と対比しやすいように、下の1枚目の写真を一部カットしたもの。そして、右の3枚目の写真は、私が訪れたすぐ後に、嵐で無残に倒れたポプラの写真(1999年)。ポプラってこんなに早く育ち、こんなに弱いものなのか? さて、下の2枚目の写真は、カナルに沿って2列に植えたポプラ並木の真ん中に立って撮ったもの。右端にカナルが見える。3枚目の写真は、カナルの中心から180mほど東に設けられた八角形(L'Octogone)という名称の池(180m×120m)の中央に設けられた高さ25mの大噴水。そして、4枚目の写真は、この池に向かって水を落とす、落差23m、長さ約200mの純粋にイタリア式のカスケード(Les Cascades)。そして、その先に見えるのが先ほどの噴水。ルイ14世の時代に平地で噴水を作ることは至難の技だった。ヴェルサイユの場合は、カナルの前のアポロの噴水(Le char d’Apollon)から水を出すために、木造の揚水機でセーヌ川の水を丘の上まで152m汲み上げ、そこから全長7.8kmの水路橋や地下サイフォンを駆使して水を供給した。ソーの場合、ル・ノートルは長さ1kmの運河を作ったという記述はあったが、どこまで信用していいのか分からない(詳しい資料は得られない)。