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 フォンテーヌブロー宮殿  Palace of Fontainebleau 

【世界遺産】フォンテーヌブロー宮殿は、フランスの宮殿の中で、ヴェルサイユのように豪華絢爛でもないのに、歴代の王が居を構えた場所。理由は、①ルイ14世以前は他にベストな宮殿がなかったから、②ルイ14世以降は「ヴェルサイユ、イコール、ルイ14世の栄光」なので、14世以外の王にとって居心地が良くなかったから。この宮殿の造営に最初に取り組んだのはフランソワ1世(在位:1515~47年)。彼は、イタリア遠征でルネサンスの美に触れ、シャンボール城もそうだったが、芸術的な建造物を名建築家に作らせることが趣味になっていた。フランソワ1世はフォンテーヌブローのシンボルとも言える白馬の中庭(Cour du Cheval Blanc)を発案し、北側の大臣棟を作った。東側の棟は、場所によって微妙にデザインが異なることから、フランソワ1世と、その後継者が1565年までに順次作ったもの。この広場で一番有名な馬蹄形の階段(Escalier du Fer-à-cheval)は、70年近く後の1632年にルイ13世が作らせたもの。東側の棟の南端、鯉の池(Étang des Carpes)に面した大パヴィヨン(Gros Pavillon)と、そこから西に伸びて白馬の中庭の南側を仕切る棟はルイ15世による18世紀半ばの建設。このように、1つの広場を囲むコの字型の建物ができるまでに200年を要している。様々な君主が何かを加え、自分たちの居城として少しずつ充実させていったことが、この一例からも分かる。一方、庭園の方は、フォンテーヌブロー宮殿に開放的な空間を望んだルイ14世の願いを反映して、1660~64年にかけてアンドレ・ル・ノートルとルイ・ル・ヴォーによって造られた庭園(14ha)。ただ、ル・ノートルの庭園も、ツゲの生垣はルイ15世が撤去し、1817年には大きな四角の水盤や円形の水盤が追加され、様相が変わってしまった。最後に、ナポレオンはこよなくフォンテーヌブローを愛していた。大陸封鎖やロシア遠征の失敗で退位が決まると、その4日後の1814年4月20日、フォンテーヌブロー宮殿の馬蹄形の階段を下りた後で、皇帝近衛兵に対して有名な別れの演説を行った。この逸話から、白馬の中庭は、別れの中庭(Cour des Adieux)とも呼ばれている。

ここで、フォンテーヌブロー宮殿のグーグル・マップ(航空写真)を掲載する。1枚目の写真は、白馬の中庭から撮った馬蹄形の階段を中心とした東棟(マップの「白馬の中庭」のすぐ右のが階段)。2枚目の写真は、鯉の池越しに撮った、大パヴィヨン(馬蹄形の階段の下の大きな)と、その向こうに伸びる白馬の中庭の南棟。3枚目の写真は、1817年に追加された円盤の向こうに伸びるル・ノートルの延長500mのアクス(右下に伸びる赤い線)。4枚目の写真は、1533~39年にかけて作られたフランソワ1世のギャラリー(赤い楕円)。