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 モン=サン=ミシェル修道院  Abbaye du Mont-Saint-Michel 

【世界遺産】モン=サン=ミシェル修道院は、年間約300万人の観光客が訪れる、パリ以外ではフランスで人気の観光地だ。上の写真は、2024年の夏の入場待ちの長い列。結構不便な場所にあるのに、なぜこんなに人気があるのだろう?
 
それは、①島全体が大きな修道院、②併設された城塞や古い町も魅力的、③干潟になるような海が拡がっているからであろう。この修道院は、966年、ノルマンディーの海岸から約1km沖にある面積7haほどの花崗岩の島に、ノルマンディー公がベネディクト会の修道士を住まわせたのが発祥とされる(他にも各種の説がある)。修道士が増え、1023年から、教会建築家グリエルモ・ダ・ヴォルピアーノ(Guglielmo da Volpiano)の設計でロマネスク様式の修道院の建設が始まる(12世紀には完成していた)。百年戦争が起きると、島全体が要塞化される。1421年、イングランド軍の攻撃でロマネスク様式の教会内陣が崩壊したが、1世紀後にはゴシック様式で再建された。17世紀に巡礼が衰退を始めると、修道院は投獄された囚人の受け皿になり、フランス革命で修道士は追放され、1863年まで政治犯の監獄と化した。1874年から文化財としての修復が始まり、1969年から少数の修道士も戻ってきた。これが最短で書いた歴史。

海に浮かぶ島の全景は、どこにでも出ているので省略し、1枚目の写真は、島の上に堂々と聳え建つ修道院。これを見れば、誰でも行きたくなる訳が分かる。2枚目の写真は、百年戦争の時に要塞化された時の古い城壁沿いの小道から見た、潮が引いた海。モン=サン=ミシェルの潮の干満の差は15mにも達し、大勢の人が干潮歩きを楽しむことで知られている。3枚目の写真は、教会のファサード前のテラスから、横の建物と砂の海を撮ったもの。教会がこんな高い場所にあるなんて!
 
 
 

モン=サン=ミシェル修道院は、①長い歴史を背負っている、②高さ50.9mの地点から、78.6mの地点まで27.7mにわたって時代を追って作られている。そこで、まず、下層から上層まで3つに分けた平面図(一番信頼のおけるもの)を下に示そう。岩の上に作られた修道院なので、一番下の層(第1層)は、半分以上が岩盤で占められている。それが次の層(第2層)になると、岩盤は急速に少なくなり、一番上層(第3層)では、すべてが人工物になる。ただし、実際の構造物は、こんなに順を追って出来ている訳ではないので、何れかの層の中間にある物も、図の製作者の判断で、3つに分けられていることに注意されたい。例えば、その一番の典型例として、50.9mの地点から78.6mの地点まで(入口から教会まで)一気に登るために南端(図の最下部)に設けられた「大階段」について見てみよう。「大階段」のスタートは、階段のマーク(多数の横線)が第1層の一番右下に書かれていたので、私が「大階段①」と標記した。しかし、階段は連続しているので、第1層の図には 左側にも横線は書かれている。第2層の図では、適当に、中央の横線に「大階段②」と標記し、第3層では、一番左の横線を「大階段③」と標記した。現実には、このような曖昧なものなのだ。
 
第3層が、観光客が目指す修道院付属教会のある最上部の地点。1枚目の写真は、第2層から第3層に登ってくる観光客を撮ったもの(観光客がいる部分は第2層、階段の一番手前の最上部は第3層)。観光客の真上にある橋のような通路(修道院長が自室から教会に行く時に渡る橋)は、第3層の図で、印を付けておいた部分。次に、第2層を見ると、中央に少し残った「岩盤」の周りに施設が作られたことがよく分かる。この中に、礼拝堂が3つあるが、トラント・シェルジュ礼拝堂と、サン・マルタン礼拝堂は、第3層の図と比べると、ちょうど教会の翼廊の端部と合致する。この2つの納骨堂は、翼廊端部の補強のために作られたもので、時代は教会本体より後になる。それに対し、地下礼拝堂(Notre-Dame Sous-Terre)は、カロリング朝の礼拝堂で、煉瓦の分析により、10世紀前半~後半に作られたことが確かめられた(教会より古い)。2枚目の写真は、第3層の教会の内部。奥の内陣は最初に書いたようにゴシックの時代の再建だが、その手前は、すべてが半円アーチで作られ、天井には交差ヴォールトが入っていないので、確実に11世紀の建物だ。3枚目の写真は、私にとっては最も重要な回廊。かなり大きな回廊だが、第3層の図で教会のすぐ横にある。4枚目の写真は、下から見上げて撮った “第3層の教会のある部分(赤い矢印)” だが、その壁面の最上部に3つの窓がある(矢印の先端で、壁が3ヶ所白くなっている)。5枚目の写真は、別の角度から撮った回廊だが、そこに3つの窓が開いている。この窓は、4枚目の写真の窓と同じものだ。この回廊は、別名「la Merveille(驚異)」と呼ばれている。回廊の柱はゴシック調なので、作られたのは、内陣の再建と同じ頃だと思われるが、500年も前に、修道院の最下部から見て高さ28mの建物の上に「空中庭園」を作るという発想が信じられない。