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 メッスのサン=テティエンヌ大聖堂  Cathédrale Saint-Étienne, Metz 

メッスのサン=テティエンヌ大聖堂を私が訪れたのは遥か昔で、スマホどころかコンピューターでネットなど存在しなかった時代。だから、情報としてはミシュランのグリーンガイドしかなかった。朝、ストラスブールを10時15分に発ち、160km離れたメッスに着いたら、12~14時の間は大聖堂が閉まっていて、2時間近く待ってからボーヴェ、アミアンに次ぐ天井高41.4mの大聖堂に入ると、期待外れだったのでがっかり。だから、その後、時代が経過して、フイルムのデジタル処理をしたのは、メッスでは1枚だけ。しかし、現在、サイトをいろいろ見てみると、この大聖堂について面白いことが書かれており、当時、それが分かっていたら、もっとたくさん撮ったのにと悔やまれる。そこで、多様な出典を駆使して、面白さを語っていきたい。

メッスの司教は、1040年に奉献された旧大聖堂の場所に、1240年頃からゴシック様式で新しい大聖堂を建て始めた。しかし、旧大聖堂には、隣接して 1187年頃に建てられたノートルダム=ラ=ロンド参事会教会(Collégiale Notre-Dame-la-Ronde)があった。「Ronde= 丸い」という名が付いていることは、円形の教会。それが、正確にどの部分にあったのかについては分からないが、 https://www.yvesago.net/ pourquoi/2016/02/chronologie-cathedrale-de-metz.html という2016年に書かれたサイトでは、1枚目の図のような形で、旧大聖堂と円形教会が隣接していたと考えている(ほぼ確実)。新大聖堂を築く際、円形教会は身廊の末端として部分的に利用され、旧大聖堂は完全に取り壊された。円形教会は旧大聖堂より1.3~2m程度高い位置に建てられていたことから、床を掘って新大聖堂と同じ高さにし、その上に石の台を置き、円形教会の柱を立て、他の身廊の柱と同じ高さに合わせた。このことは、2枚目の写真でよく分かる(身廊の南東の端の2×2の4本だけは、石の台の上に立っている。柱も円柱で、奥の身廊の柱と違う)。かくして、1枚目の図は、3枚目の図のようになった。普通、鐘楼は大聖堂のファサードの両側に建てるのがセオリーだが、その場所には円形教会の出入口があったので、鐘楼は、新大聖堂と円形教会の接合部の辺りに建てられた。3枚目の図の中央手前にあるのが高さ93mのムット塔(Tour de la Mutte)、向こう側が高さ69mの参事会塔(Tour du Chapitre)。この図の代わりに、ドローン(?)から撮った写真を、4枚目に示す。
 
 
 
 

私が撮った写真は、最初に書いたように1枚だけ。それを1枚目に示す。建物が異様に黄色いのは、この地方特有のジョモン(Jaumont、酸化鉄が黄色を出す)石が使われているため。ファサード側から撮った写真だが、向かって左側だけ飛梁とそれを支える控壁があるように見え、右側には何もないように見える。それはファサードの右端に時計塔(Tourelle de l'horloge)が建っていて、後ろを隠しているから。ファサードには、他のゴシック大聖堂と違って入口が1つしかなく、しかも、いつもは閉ざされていて、向かって右側の側面(昔の円形教会の入口)から中に入る。このファサードの、1877年の古写真が2枚目。ファサードが全体に非常に質素だ。メッスは当時ドイツ領だったので、ドイツ人の建築家パウル・トルノウ(Paul Tornow)によりゴシック様式で作り替えられ(1908年)、現在の姿になった。なお、メッスのステンドグラスの面積は6496m²。次がルーアン大聖堂の3000m²、シャルトルは2600m²。しかし、シャルトルのステンドグラスが12~13世紀なのに対し、メッスのステンドグラスはほとんどが14~16世紀と20世紀。3枚目に、メッス大聖堂で一番古い14世紀末のステンドグラス(1枚目の写真のバラ窓の下の部分)を掲載する。