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 シャンボール城  Château de Chambord 

【世界遺産】シャンボール城は、フランソワ1世(1494~1547年)が、即位(1515年)後の1519年に建設を開始した城。その数年前の1516年、イタリアでの庇護者を失ったレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519年)がフランソワ1世の招待を受けてモナリザ他2点の絵を持ってフランスにやってきた。王は、アンボワーズ(Amboise)近郊のクルーの荘園(manoir du Cloux)をダ・ヴィンチあてがい、「王の最高の画家、最高の技術者、最高の建築家(premier peintre, premier ingénieur et premier architecte du roi )」の称号と多額の年金を与えた。ダ・ヴィンチを尊敬し、彼との会話を楽しんだフランソワ1世が、これから着手するシャンボール城について、何らかの意見を聞いた可能性は指摘されているが、証拠は一切ない。神聖ローマ帝国の継承をめぐる戦争の中で、フランソワ1世は1525年にイタリアで大きな敗北を喫し、負傷した上に捕虜としてスペインに送られ収監された。城の工事は中断し、フランソワ1世が翌年解放されると再開されたが、規模は縮小され、1547年にフランソワ1世が死去すると、アンリ2世が後を引き継ぐが、1559年にアンリ2世が死去すると再中断。シャンボール城を現在の姿に完成させた(1680~86年)のは、ルイ14世。中断後、100年以上、王家によってほぼ無視されていたが、ルイ14世はこの城に9回滞在した。その後、城は時代の流れの影響を受けたが、略奪はされても破壊はされず、第2次世界大戦のあとに改修工事をうけて現在に至っている。

この城に入った時、私は立派だとは思ったけれど、観光客の多さにうんざりし、正面からの写真(1枚目の写真)を撮って城の豪華さに満足し、テラスには登ったけれど(2枚目の写真)、すぐに引き揚げてしまった。今になってネットを見ると、二重螺旋階段が有名だと書いてあり、いろいろな角度からの写真で溢れている。そこで、グーグルのストリートビューで城の中に入って見たら、正面入口を入るとすぐに正面に二重螺旋階段の登り口があった、そこから1階登ると(数えたら45段)メイン・フロア。もう1階登ると(45段)2階(ネットにあった3枚目の写真)、さらにもう1階登ると(50段)、昔行ったテラスに出た。二重螺旋階段はそこで終わっている。帰りには、反対側から降りていけば、登ってきた階段とは違ったルートで一番下まで降りられる。それだけの階段なのに、それを「魔法のような感触」とか称し、レオナルド・ダ・ヴィンチの発想だという伝説について、大げさに書かれている。この階段の完成は1519年(ダ・ヴィンチが死んだ年)。ダ・ヴィンチは、1516年にフランソワ1世に招かれてフランスに行ったが、実はその前の3年間、1513~16年はヴァチカンのベルヴェデーレ(Belvedere)で過ごした。ここから先は、少なくともネット上にはどこにも書いてなく、私の立てた仮説。ベルヴェデーレの図書館には、二重ではない螺旋階段がある。それは、ドナト・ブラマンテ(Donato Bramante)が1507年に作ったもの。ダ・ヴィンチが3年間ベルヴェデーレにいたなら、その階段を昇り降りしたはずだ。4枚目の写真は1930年頃に撮られたブラマンテの螺旋階段。3枚目のシャンボール城の二重螺旋階段と比べると何となく似ている。ダ・ヴィンチは、シャンボール城の二重螺旋階段に直接関与はしなかったかもしれないが、フランスでベルヴェデーレの螺旋階段のことを誰かに話したことは間違いない。それを聴いた誰かが、二重螺旋を思い付いたのであろう。ダ・ヴィンチ以外にそんなことができるのか? それが、できるから不思議な偶然というのは面白い。私は、イタリアで、もっと大きな二重螺旋階段を見て感激したことがある。それは、イタリア中部にある断崖上の都市オルヴィエト(Orvieto)にある聖パトリツィオの井戸(The Pozzo di San Patrizio)だ(5枚目の写真)。工事は1527~37年に行われ、階段の直径は約13mで、シャンボール城の直径8.7mの約1.5倍。シャンボールのテラスの高さ約20mに対し、井戸の深さは約54mと2.7倍。階段の段数は140段と248段で約1.8倍。二重螺旋にした目的も同じで、登りと降りがぶつからないようにするため(井戸では、ラバに水を運ばせた)。二重螺旋井戸の考案者は、生涯のほとんどをローマで働いた教皇専属の軍事要塞の専門家アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョバネ(Antonio da Sangallo il Giovane)。何と、彼は、二重螺旋を、“ヴァチカンのベルヴェデーレの螺旋階段にヒントを得て考案した” と言っている(彼は、いつもベルヴェデーレにいた)。現在撮影されたベルヴェデーレの違う角度からの螺旋階段(6枚目の写真)は、5枚目の聖パトリツィオの井戸の二重螺旋階段にそっくりだ。ダ・ヴィンチもアントニオ・ダ・サンガッロも同時期にヴァチカンのベルヴェデーレにいて、ブラマンテの作った螺旋階段を見ている。2人の間に、何らかの接触があったのだろうか? 二重螺旋階段が話題になったのだろうか? 永遠の謎のままだ。以上、どこにも書いてない同時期の2つの井戸をめぐる面白い連想。